大判例

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東京高等裁判所 昭和37年(ラ)22号 決定

抗告人 吉村定雄(仮名)

主文

本件抗告を棄却する。

理由

抗告人は「原審判取消」の裁判を求め、抗告理由として別紙記載の通りの主張をするのであるが、これに対する当裁判所の判断は次の通りである。

(一)  抗告人は本件遺産の中心となる家屋は、当初父(被相続人)の若い頃父の親族からの借入金で建築に着手し、父の親族の保証で銀行から融資を受け、漸くにしてこれを建築するに至つたものであつて、母の出費で建てたものではないと主張し、原審判が「右家屋は被相続人において妻(審判申立人)の協力を得て新築したものである」とした認定に不服のようである。しかし抗告人も抗告理由の別の箇所では、右家屋が「父と母との汗の結晶」であることはこれを認めているのであり、仮りに右家屋の建築費の出所が抗告人主張の通りであるにしても、右家屋が被相続人とその妻(審判申立人)との協力でできたものであることには相違はないというべきであり、右原審判の認定に誤りがあるものとは思われない。

(二)  また、抗告人は抗告人別居の事情について数々の訴えをするのであるが、原審判の理由の全趣旨から見れば、この別居の事実そのものが原審判の判断に相当の影響を与えたことはこれを了し得るところとしても、その別居に至る事情が原審判の主文に至る判断にそれ程の影響を持つたものとは到底解し難い。しかも抗告人主張の婚姻までの事情、不和に至つた原因、別居当時の模様などの事実は、凡そ民事関係事件の中でも双方の言分が対立して最も認定の六ヶしい事柄であつて、抗告人提出の資料だけでこれを抗告人主張どおりの事実関係のものと認めることは勿論できない性質のものであるが、仮りにこの事実関係を抗告人主張の通りと認めるとしても、原審判認定の他の事実関係と合せてこれを判断するときは、右事情また原審判の結論を左右するほどのものとは到底これを認め難い。

(三)  抗告人は抗告理由の二の冒頭で「原審以来抗告人が諸遺産の中本件不動産のみに頭を悩まし、執拗にこれを母との共有名義にしてくれと主張して来た理由は、抗告人がこの不動産を自分で取ろうとする趣旨ではない。ただ只管に一族一門の平和のみを顧慮し、一家の長として、老衰の母を助け、父の汗の賜であるこの不動産を中心として、一門の繁栄を祈りあらゆる善処方法を考えた結果で」あると主張し、またその(ハ)の部分でも種々の事情を述べた上で「親族一同がこの家を中心として集り、仲よく暮し、父の法要もこの家で施行し、子孫の繁栄を計らんとする外に他意はないと主張していて、これが抗告理由の主眼と思われる。そこでこの抗告人の主張について考えてみるのに、抗告人居住の新潟地方などではまだ旧憲法旧民法時代の家長中心の家族主義的考え方が相当残つているやに考えられ、その中にあつて抗告人が右のような考え方を持つこと自体を責める気にはならないとともに、また抗告人は抗告人なりに亡父を偲び、母を思つていること自体に疑いを挾もうとも思わない。しかし本件で問題となつているのは亡父の遺産の分割問題であり、この遺産の分割は「遺産に属する物又は権利の種類及び性質、各相続人の職業その他一切の事情を考慮してこれをすべき」こと民法九〇六条の定めるところであつて、この事情の考慮に当つては、抗告人が長子(三男ではあるが、事実上は長子)であるとの事実は、多少はこれを斟酌すべきことではあるにしても、抗告人が考えるほど重視を要することと考えるわけにはいかない。本件にあつては、相手方(抗告人の母、審判申立人)が永年本件家屋(それも前記の通り相手方が被相続人と協力して建てた家屋)において居住営業し、現在もなおこれを継続中であるのに、抗告人は国鉄に勤務して他に別居中であり、しかも抗告人の妻と右相手方との間が必ずしもよい間柄ではなく、しかもこの間柄は近い将来においても、そうたやすく改善し得るような状況でもないこと(このことは本件抗告理由の記載から見てもこれを窺うに足りよう)が、原審判のような結論に至らしめた重大な要素であつて、この事情に比べれば、抗告人が事実上の長子であるとの事実などは、本件遺産の分割にあつてはそれほど問題とするに足らないところというの外はない。抗告人は決して旧法における家族制度的家督相続的考え方を以つて律せんとしているのではないと主張するが、抗告人が本件抗告理由の中で前記のように「一族一門の平和を顧慮する」といい、「一家の長としてこの不動産を中心として一門の繁栄を祈る」というのも、ことの善悪はともかくとして、この考え方自体の内に、たとえはつきり意識しないにしても、家長中心的、長子相続的思想が残存抱蔵されていることはこれを否み難いところであり、これを前提とすると考えられる抗告人の右抗告理由は到底これを容認し難いところである。

(四)  抗告人はまた原審判は「遺族、親族一同の意思を無視し、遺妻の意思のみを偏重した」もので条理に反するとも主張するが、本件全記録によつて認められる本件の全事情から考え、原審判に条理に反する違法があるものとは到底認めることはできない。

以上の通りであつて、本件抗告理由はこれを容認するに由がなく、他に記録を精査しても原審判を取消すべき瑕疵はこれを見出し難いので主文の通り決定する。

(裁判長裁判官 原増司 裁判官 山下朝一 裁判官 吉井参也)

(抗告理由省略)

原審(新潟家裁 昭三六(家)二五〇一号 昭三六・一二・二一審判 認容)

申立人 吉村キヨ(仮名)

相手方 吉村定雄(仮名) 外二名

主文

一、本籍新潟市祝町○○○○番地被相続人吉村周作の遺産を、つぎのとおり分割する。

(1) 新潟県新潟市祝町○○○○番、建物番号第二号、木造瓦および亜鉛葺二階家一棟(建坪一九坪三合三勺三才外二階一三坪五合)は申立人の所有とする。

(2) 別紙遺産目録「動産の部」に掲げる預金、配当金、金銭債権および家財道具等は、全部申立人が取得する。

(3) 申立人は相手方吉村定雄に対し一九〇、三一四円、相手方宇田タミに対し一六九、四一四円、相手方吉村シヅコに対し二五〇、三一四円の各債務を負担し、それぞれこの審判確定後遅滞なく支払うこと。

二、本件手続費用中鑑定料合計九、〇〇〇円のうち三、〇〇〇円は申立人の負担とし、その余は相手方等の平等負担とする。

理由

本件申立の要旨は、

「申立人は被相続人吉村周作の遺産を法律上適正に分割することの調停を求め、その事情として、申立人の夫であり相手方等の父である被相続人は昭和三十五年九月八日死亡し、その相続人は申立人および相手方等の四名で、申立人は三分の一の相続分を有するものである。

申立人は遺産である家屋に居住して八百屋を営み、相手方定雄は国鉄職員として勤務しているが、被相続人の生前から申立人および被相続人と折合がうまくなかつたため別居してそれぞれ生活していたところ、相手方定雄は被相続人の死亡後相続権を主張して申立人との同居を迫り、これがため申立人は日夜戦々競々としている有様であるから本件家屋を適正に評価して、相手方等にはそれぞれ相続分に相当する金員を支払い、これを申立人の単独所有とするよう調停を求める。」

というのである。

然るに、この調停事件(当庁昭和三六年(家イ)第九五号)は、相手方定雄が往時の家督相続人的立場を主張して分割に同意しなかつたため、昭和三十六年七月十二日不成立となつたので、本件審判事件に移行するにいたつたものである。

本件調査の結果および当庁昭和三六年(家イ)第九五号遺産分割調停事件、当庁昭和三五年(家イ)第二六九号遺産分割調停事件の各一件記録によれば、つぎのことが認められる。すなわち、

一、被相続人吉村周作は昭和三十五年九月八日新潟市田町○丁目○○○○番地○で死亡したが、その相続人は、

妻  吉村キヨ(本件申立人)

三男 吉村定雄(本件相手方)

長女 宇田タミ (同)

二女 吉村シズコ (同)

の四名(長男順一は幼くして死亡、二男義二は妻子なくして戦死した)である。

二、各相続人の法定相続分は、申立人が三分の一で、相手方等はそれぞれ九分の二である。

三、被相続人は小作農家に出生し、暫く家業に従事していたが、大正八年六月申立人と結婚後は新潟市に世帯を持ち、死亡するまで木工所、製村所の工員として働き、申立人(妻)の協力を得て昭和五年ごろ遺産である家屋を新築し、夫婦間に三男二女を儲けたが、昭和三十五年九月喉頭癌で死亡した。而してその遺産は別紙遺産目録記載のとおりであつて、相続開始時の価額はつぎのとおりである。すなわち、

(1) 木造瓦および亜鉛葺二階建居宅(建坪一九坪三合三勺三才、外二階一三坪五合)(この価額四八四、九五〇円)

(2) 株式会社第四銀行普通預金   三二五、五四〇円

(3) ○尾○男に対する貸金債権   一〇〇、〇〇〇円

(4) 簡易保険配当金          五、四〇〇円

(5) 第一生命保険相互会社配当金      二二四円

(6) 家財道具(電気製品、衣類等)一式(この価額六九、四〇〇円)

(1)~(6)合計           九八五、五一四円

四、(1) 申立人吉村キヨは小作農家に生まれ被相続人と婚姻するまでは農業に従事していたが、婚姻後は八百屋を営むかたわら氷水なども商い、被相続人に協力してよく家計の維持発展に力を尽し、家内円満に生活して来たところ、昭和三十三年十一月相手方吉村定雄が妻ミサコを迎えてからはとかく申立人とミサコとの間に不和を生じ、昭和三十四年七月定雄夫婦は家を出て申立人等とは別居した。

被相続人の死亡後相手方定雄から申立人および相手方タミ、同シヅコを相手方として申立人等との同居を希望して当庁に遺産分割の調停申立(当庁昭和三五年(家イ)第二六九号事件)がなされたが話合で解決するとして取下げられた。しかし結局当事者間に話合かつかず、昭和三十六年五月六日今度は申立人から遺産分割の調停を申立てたもので、申立人は現に相手方シヅコと二人で遺産たる家屋に居住し、相手方タミに手伝わせて青果物、食新品を販売している。

(2) 相手方吉村定雄は申立人と被相続人間の三男として出生したが、高小卒後国鉄に就職して以来国鉄職員として勤務し、父母妹と同居して来たが、昭和三十三年十一月坂田ミサコと婚姻(昭和三十三年十二月六日届出)して以来些細なことにも申立人とミサコとの間と口論が絶えず徐々に稼姑の間が険悪となり、遂に昭和三十四年七月親族立会のうえ相談の結果、定雄夫婦は家を出て被相続人と別居するにいたつた。ところが被相続人の死亡を契機に、昭和三十五年十月遺産家屋を申立人キヨの所有名義にすることとして定雄夫婦は申立人等と同居することに話合いができたが、定雄は同居しないまま昭和三十五年十二月一日前記のように調停を申立て、前後四回にわたり調停がすすめられたが、昭和三十六年四月十日右申立を取下げた。相手方定雄は妻ミサコとその間に生まれた長男正一の三人で現在間借生活をしている。また、相手方定雄は被相続人の死亡により生命保険金(簡易保険五〇、〇〇〇円、および第一生命保険一〇、〇〇〇円)ならびにその配当金(簡易保険五、四〇〇円および第一生命保険二二四円)合計六五、六二四円を受領している。

(3) 相手方宇田タミは申立人と被相続人間の長女として出生、昭和二十一年高小卒業以来申立人の営む八百屋を手伝い昭和三十二年五月現在の夫宇田和義(北星漁業株式会社事務員)と婚姻(昭和三十二年六月十一日届出)したのであるが、その婚姻に際して被相続人からミシン、タンスなど稼入道具一式(昭和三十五年九月当時の価額八〇、九〇〇円)の贈与を受け、和義との間に二男子を儲け、現在借家住いをしている。相手方タミは婚姻後も、相手方定雄が妻ミサコと婚姻して申立人と同居している期間を除き現在に至るまで申立人の営業を手伝つている。

(4) 相手方吉村シヅコは申立人と被相続人間の二女として出生、昭和二十六年中学校を卒業後暫く申立人の商売を手伝つていたが、昭和二十六年十二月新潟運輪建設株式会社に就職、現在申立人と同居して同会社に通勤している。

以上説示のとおり、民法第九〇三条により擬制される相続財産は

被相続人が相続開始当時有した財産の価額 九八五、五一四円

相手方吉村定雄の受贈分          六〇、〇〇〇円

相手方宇田タミの受贈分          八〇、九〇〇円

計                 一、一二六、四一四円

となり、共同相続人の特別受益を算入して各当事者の相続分を算出すると、

申立人 吉村キヨは   三七五、四七二円(円未満切上)

相手方 吉村定雄は   一九〇、三一四円(円未満切捨)

相手方 宇田タミは   一六九、四一四円(〃)

相手方 吉村シヅコは  二五〇、三一四円(〃)

計      九八五、五一四円

となる。

そこで本件遺産の分割にあたり、遺産に属する物または権利の種類および性質、各当事者の職業、生活状態その他本件にあらわれた一切の事情を考慮するときは、主文のとおり財産の帰属債務負担を定めるを相当と認め、手続費用の負担について、非訟事件手続法第二六条第二七条第二十九条、民事訴訟法第九三条を適用して、主文のとおり審判する。

(家事審判官 鍬田日出夫)

(別紙省略)

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